日別アーカイブ: 2018年6月5日

かわら版「大学自治を見直そう」!!を発行しました

雇止めはセクハラです! セクハラ官僚、天下り反対!

【蝸牛】 委員長! 先日はメーデーお疲れさまでした。天気もよく、楽しかったですね!

ところで、今年の東職のメーデースローガンは、「雇止めはセクハラです!」でした。「雇止めはパワハラです」や「雇止めは人権侵害です」ならわかりやすいですが、あえて「セクハラ」にしたのにはどのような意味がこめられているのでしょうか。

【委員長】 はい、おっしゃる通り、業務上の必要性など正当な理由の無い「雇止め」がパワハラであることは、定義により自明ですね。ですが、それに加えて、有期雇用など非正規の教職員への雇止めをはじめとする差別待遇は「セクハラ」「性犯罪」でもある、という事実は、言われてみれば至極当然なのですが、なかなか気付かない「コロンブスの卵」です。

「セクハラ」「性犯罪」とは、特定のジェンダーにとって不利な条件に付け込んで「弱い者いじめ」を働くこと、というのが定義です。(よくセクハラや性犯罪は「性欲」の暴走のことだ、だから性行為でなければセクハラや性犯罪にはならない、と誤解している人がいますが、違います。性欲よりもむしろ権力誇示や支配欲求のほうが性犯罪の動機になり易いことは、今や犯罪学の基本常識です。)

では非正規雇用教職員に女性の割合が圧倒的に高いのは何故か、と言えば、それは言うまでもなくご家庭のご事情などにより正規雇用に就くことの困難な方々の割合が女性に多いからに他なりません。つまり特定のジェンダーにとって不利な条件、ということです。非正規雇用を理由とした雇止めなど一切の差別が、セクハラであり、性犯罪である所以です。

福田前財務次官が女性記者にセクハラを働いた時、麻生大臣の放った「だったら記者は全部男にすればいい」との暴言こそ、セクハラ・性犯罪の本質を鮮明に言い表しています。或るジェンダーに特有な不利のせいで虐げられるのは当然だ、嫌ならそもそも辞めてしまえ、というわけです。世の多くの経営者や人事担当者、現場の上司たちは麻生さんほどKY(漢字も読めない、空気も読めない)ではないから放言はせず、黙って粛々と「非正規は辞めてしまえ」「女性は辞めてしまえ」とばかり雇止めに走るわけです。「犯行声明」を叫ぶかどうかの違いだけで、彼らも麻生さんと同罪なのです。

…というようなメンドーな解説は聞きたくない、読む暇がない、という方は、ものすごく単純に、雇止めは「女性の敵」だ、とお考え下さって結構です。痴漢や色魔と同じですね。

【蝸牛】 なるほど、そういう意味なのですね。ところで先日、ある女性が上司から、こんなことを言われたそうです。「今の仕事、そんなに長くやっていると飽きちゃうでしょ?!」。その方は、不思議なこと言うなぁ、と思ったそうです。「仕事の内容は次から次へと変更があったりして、飽きるってことないのにねぇ」とおっしゃっていました。

【委員長】 感性の鋭い上司であればあるほど、非正規差別が不当であるという後ろめたさを日々実感し内心、居心地の悪い思いをしているはずです。同僚や部下たちのうち、正規雇用の職員たちはどんどん昇進し栄転して行くのに、非正規雇用職員は低い待遇のまま、という差別は、非正規職員たちが長く勤め上げるほど悪目立ちします。例えば若い係長や主任から見て、自分の叔母ほどの歳で、しかも自分の何倍も経験もあり実務もデキる「補佐員」の給料が、自分の給料の半額もあるかないか、では居心地の良いはずはありません。謂わば「目の上のタンコブ」的な存在に感じ、願わくは辞めてもらって若い新人に取替え、その若い子に向って上司らしく「仕事を教える」立場になってみたい、…というのが気弱で自信の無い「上司」たちの偽らざる本心ではないでしょうか。

もちろん中には、逆に感性が鈍感この上なく、「若くてキレイな子を採りたい」「女性は適齢期のうちに寿退職しろ」などと公言する不心得な現場担当者も居ないわけではありません。が、多くの一見善良な「上司」たちにしても、要は自分の居心地とか、後ろめたさとかにばかり目が行って、非正規雇用職員たちの生活や職の安定という「公益」を蔑ろにしている謗りは免れません。上司としてはあまりにも「自己チュー」の度が過ぎると言わざるを得ません。

昨年までの団体交渉で東大本部側は、旧「5年で雇止め」ルールの根拠として「各部局からの意見」を挙げていましたが、部局の意見とは畢竟、そこに勤める現場の「上司」たちからの声、ということです。その「上司」たちが自己中で、部下に自分よりも老練な「補佐員」が居ると肩身が狭い、みたいなチッポケな心の持主だと、組織(部局なり、大学法人なり)全体として生産性は落ちます。

…ということに気付いて5年ルールを廃止した昨年12月の東大本部の方針転換は、英断でした。

【蝸牛】 それからスローガンの「セクハラ官僚、天下り反対!」というのはどのような意味でしょうか。東大にもセクハラな官僚が天下っているのでしょうか。セクハラ官僚が天下りをするとどうなるのでしょうか…

【委員長】 直接的には読んで字の如く、福田前財務次官のような「性犯罪者」「女性の敵」を、元権力者だからというだけで天下りを許したり、後生大事に国民様の血税様で飼ったりすべきではない、それでは女性の納税者たちに申訳が立たないではないか、ということです。そもそも、変態かどうかに関わらず一般論として、監督官庁関係者が被監督機関である法人企業へ天下ることには利益相反の問題があり、これこそが天下りを原則禁止とする国家公務員法の精神でもあります。

困ったことに以下両様の意味で、福田さんはほんの氷山の一角に過ぎません。まず第一に、公務員人事の基本思想は一方的行為としての「行政権の執行」であり、労働法準拠の双務契約である法人企業人事とは根本的に異なります。また上官が部下に対して下すことのできる命令の範疇として職務命令のみならずナ、な、何と「身分上の命令」なる概念が存在する等、軍や体育会に類似した「チンの命令」の罷り通る非人間的なタテ社会です。女性部下や女性記者に「触っていい?」と「チン命令」して構わないと思い込んでいる「高級官僚」が福田さん一人だけとは到底考えられません。

関連して第二に官公庁、とりわけ霞ヶ関の中央省庁は極端な男性中心ムラです。単に男性官僚の人数が多いというだけでなく、例えば私が新卒で任官した頃の厚労省ビル(平成元年当時、厚生と労働は別々の省だった)では各階の給湯室が、驚くなかれ、女子洗面所内にありました。私の勤めていた旧経済企画庁は、霞ヶ関きっての知性派を自任していたにも拘らず、高卒(国家III種)の男子たちだけが毎夕、定時より少し前に退庁するので、事情を訊いたら、なんでも「男性にだけはせめて夜間大学を出してやろうというのが我が庁の佳き文化」なんだそうです。つまり言い換えれば、女性は高卒で十分だから、あとはお茶汲みの練習で花嫁修業をさせ、若くてキレイなうちに寿退職させてあげよう、というセクハラ思想に他なりません。霞ヶ関全体がセクハラと性犯罪の塊だった、と言っても誤りではありません。それは何れのお御時の昔話か、30年を経た現代では流石にそれは無いだろう、とお思いになる方は、福田さんのご年齢をお忘れなく。私と同世代の50代、つまり30年前の古色蒼然たる「霞ヶ性鬼」の「背苦腹村」を原風景として育った官僚たちが今日、天下って来るのです。

現に今般、全国の国立大学を席巻した「2018年問題」有期雇用職員大量雇止め騒動にしても、首謀者である人事・労務担当理事たちのほぼ10割が(現役出向者を含む)広義の天下りでした。その世代の官僚である以上、福田さんや麻生さんよりはいくらか人間に近い顔立ちをしていたとしても、やはり天下った先の法人企業、とりわけそこで働く女性職員たちにとって「味方」よりは「敵」になる公算大です。             ■

【蝸牛】 そうだったのですか! 学問・思想や学生自治だけでなく、人事・労務面でも「大学自治」を見直さないといけませんね。

こちらからダウンロードできます⇒かわら版2018-3