機関紙・刊行物」カテゴリーアーカイブ

かわら版「粘り強い交渉の末に、ついに実現!!」を発行しました(2/8)

4月の施行就業規則に、組合の要求が入りました。

非常勤講師5年超で無期転換。

短時間勤務教職員の2つの休暇が有給化。

詳細はチラシをご覧下さい。

チラシダウンロード:かわら版(表) かわら版(裏)

ひまわり287号発行

ひまわり287号

東職女性部の会報「ひまわり」287号が発行されました。大学本部からの回答をもとに、東京大学の男女共同参画基本データを(少しずつ)公開しています。今号では、育児休業取得人数と出産時の休暇制度についてです。(2018年11月15日)

かわら版(新任の皆様おめでとうございます)2018‐2号(2018/4/6)が発行されました

全文をダウンロードできます⇒2018-2(新任の皆様おめでとうございます)

安心して働こう!東大には労働組合があります

教員&職員の常勤・非常勤・フルタイム・パートタイム・・・だれでも加入できます

といいますが、そもそも、何をしているの? 組合に入るメリットって? という方が多いですよね。まずはメリットの話から。

1)無料で法律相談が受けられます(面談1件につき3回まで)

職場の労働相談から離婚・相続・遺言・交通事故などの個人的な相談まで、弁護士に無料で相談できます。これ、大きな安心、お得です。

2)組合には団体交渉権があります!

「過半数代表があるじゃない」と思われる方、あれは交渉ではなくヒアリングです。組合では「これはおかしい」と感じたら、雇用者に直接要求・交渉ができます。

3)じつは、けっこうイベントあります

ランチョンセミナーやシネマカフェ、読書会、もちろん忘年会や新年会も。他の部局や他大学の人と語り合うチャンスがいっぱい! 他にも、労働金庫から金利の安い融資が受けられる、教職員共済の詳しい説明など、こまごまとメリットがあります。

4)なにより、困ったときの頼みの綱がゲットできます

職場でパワハラ・セクハラにあったとき、上司に話せないとき、安心して相談できる相手が見当たらないとき。そんなときの教職員組合です。

東京大学で働くすべての教職員の皆さん!教職員組合に入って、働きやすい職場を作りましょう!

 

ちょっと待って!その契約書サインする前に

「無期雇用転換5年ルール」はじまる

労働契約法の改正により、パート、アルバイト、契約社員、派遣など有期労働契約が通算で5年を超えた場合、労働者の申し込みにより、無期労働契約に転換できる「無期転換ルール」がはじまりました。

 労働者の雇用の安定を図ることを目的としていますが、無期転換権の発生が本格化する4月を前に、無期転換ルールを口実とした雇止めなど、違法・脱法行為が起きています。

こんなときは要注意!すぐに組合に相談を

  • 雇用通算期間5年未満で雇止め
  • 契約書に更新回数、契約期間の上限が
  • 契約書に「次回の更新を行わない」と記載がある
  • 契約更新の条件として「無期の申し入れをしないで」と言われた
  • 成績優秀者だけしか無期雇用になれないといわれた
  • 一定期間休んでくれたら、また雇ってあげるといわれた
  • 無期雇用になるときは、労働条件が悪くなるといわれた

東職は、本郷キャンパス第2食堂3階にあります。お気軽にどうぞ

かわら版(単組・部会より新年のご挨拶)2018‐1号(2018/1/24)が発行されました

全文をダウンロードできます⇒「かわら版」新年号2018-1

   

働きがいのある職場と平和で開かれた社会の実現を
今年もよろしくお願いいたします

-東京大学教職員組合2017年度執行部一同 続きを読む

「ひまわり」286号(2018/1/17)が発行されました!

全文はこちらです⇒ひまわり286号

東京大学はすべての有期雇用教職員に対する5年上限と6ヶ月クーリングをついに完全撤廃!

新しい年を迎えました。近年冬将軍の力が侮れず、寒さ厳しい毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。2018年初めてのひまわりをお届けいたします。
みなさまご存知のように、時は2017年12月半ば、冒頭のような見出しが紙面(私は四国の某夕刊紙でも見つけました)をにぎわせました。このたびのホットな話題に関連いたしまして、本ひまわりにご寄稿いただきましたことを心より感謝申しあげます。

「雇止め撤廃と差別について」 
 短時間勤務職員部会 東 史(ひがしふみ) 続きを読む

「ひまわり」285号(2017/12/4)が発行されました!

全文はこちらです⇒ひまわり285号 続きを読む

かわら版(有期雇用教職員の「6ヶ月クーリング」は前倒しで撤廃!)2017‐7号(2017/11/13)が発行されました

ダウンロードできます⇒かわら版2017-7号 続きを読む

2017年10月31日号「東京大学新聞」一面で

「有期雇用職員雇い止め問題」を取材。 続きを読む

軍学共同反対連絡会ニュースレター第14号(2017.8.28)が発行されました

軍学共同反対連絡会ニュースレター第14号が発行されました。
これまでのニュースレター一覧はこちらです。⇒http://no-military-research.jp/?cat=6
軍学共同反対連絡会

かわら版(新執行部でがんばります!)2017‐6号(2017/08/22)が発行されました

ダウンロードできます⇒かわら版2017-6号(新執行部でがんばります!)

 新執行委員長 ごあいさつ

          2017 年度 執行委員長 佐々木 弾(社研教授)

労働組合の果たすべき機能は2つに大別できます。以下これらを「内的」「外的」と称することにします。
前者は言うまでもなく組合員の労働環境と生活の向上・安定にあります。経済学的に言えば(小生は社会科学研究所所属)、組合員の「効用」の最大化・最適化を目指す、というのが組合の「内的」機能です。これは単に個々の勤労者の賃上げ等を目するのみならず、職場全体における公平・公正性の担保、更には社会全般における自由と平和の希求、を当然に含みます。組合員の効用は、俸給など直接的な雇用条件への不満のみならず、職場内における不公平感や、社会全般に漂う非民主的・非平和的な風潮によっても、甚だしく毀損されるからです。

雇用のいわゆる非正規化が社会問題化して久しく、本学も決して例外ではありません。過去数回の団体交渉から明らかになったのは、本部要員たちから非正規教職員に対して向けられた露骨かつ抜きがたい差別感情であり、職務上の客観的・合理的必要性を欠く謂わば前近代身分制的な差別待遇の実態です。就中、非正規教職員の多くが家庭責任を負っていることに対する本部労務担当者たちの徹底的な無理解と、人として当然払うべき敬意の欠缺(けんけつ)とは、目に余るを通り越し、峻烈な敵意さえ覚えます。我々東職は、世の多くの既存大手労組が「既得権正社員クラブ」化し、非正規化の潮流の中で自動的退潮に追い込まれた轍を踏まぬよう、この非正規差別問題を目下の重点闘争と位置付ける所存です。

社会的な方面では、幸い五神総長以下、本学当局は、近年頓(とみ)に急拡大するいわゆる軍学共同に対しては厳禁主義を堅持しており、東職としてこれを全面的に支持・賛同しない手はありません。更には文教予算緊縮や学校教育法改悪などに代表される高等教育・学術研究への国家権力の招かれざる介入や、より広くは特定機密・戦争法・共謀罪・改憲などの不穏な動きに関しても、無責任な「見ぬ・聞かぬふり」をせず、毅然たる意思表示を続けることが我々東職にとって必須な責務の一環と心得るものです。
他方、東職の「外的」機能とは何ぞや。それは端的に言えば、同業他労組、更には異業種労組、ひいては社会全体に対しても、模範的な所謂「ロールモデル」を呈示することではないでしょうか。我々の日々の想像以上に、学外の同志たちは東職を模範と仰ぎ、東職との連帯・共闘・情報共有などを希求されている、という至高の環境に我々は恵まれているのです。そのことへの感謝を形にすべく、倍旧の対外的連携・情報発信などいわゆる社会的責任を積極的に果たして参りたいと考える次第です。

~~ こんなの知ってる?~~ Vol.1
德川光圀の師、朱舜水(しゅ・しゅんすい)
芥川龍之介も建碑式に立ち会った「朱舜水先生終焉之地」碑

工学部から本郷キャンパスと弥生キャンパスを繋ぐ陸橋を渡ると、農学部1号館東側の空地に「朱舜水先生終焉之地」と刻まれた碑があります。ハチ公の銅像建立に伴い、今年2月に農学部正門横から移転しました。

朱舜水像(水戸市内)

「朱舜水」は、中国浙江省余姚市出身の明の学者です。清朝に滅ぼされた明の復明運動が実現せず長崎に留まっていたところ、水戸藩2代藩主 德川光圀により水戸藩へ招聘され、寛文8(1668)年から水戸藩駒込邸(中屋敷 弥生キャンパス、浅野キャンパス、本郷キャンパスの一角と弥生二丁目の住宅地)内の屋敷に住みました。光圀は明暦3(1657)年、後に彰考館となる史館を駒込邸に開設、歴史編纂事業を開始します。朱舜水招聘後、学者数は増加し、彼は儒学、史料編纂などの学問、礼法、農業、土木技術など実学を伝えます。加賀藩5代藩主 前田綱紀は源(五十川)剛伯を朱舜水のもとに派遣。朱舜水は同藩の木下順庵や他藩の学者との交流もあり、内外の学者の集まった駒込邸は学門と教育の場となります。史館は寛文12(1672)年に小石川邸(上屋敷)に移転します。朱舜水は天和2(1682)年、駒込邸内で亡くなり水戸德川家の墓所のある瑞龍山へ葬られ、祠堂が建設され慰霊祭が毎年行われます。元禄16(1703)年の火災で祠堂は焼失、水戸へ移転します。

朱舜水終焉の地(東大弥生キャンパス内)

日中関係が悪化していた明治45(1912)年、駒込邸跡地の第一高等学校で朱舜水を顕彰した「朱舜水先生二百五十年紀年会」が朱家、德川宗家、水戸德川家、尾張德川家、加賀前田家、渋沢栄一、後藤新平他、第一高等学校生徒が参列して行われ、この「朱舜水先生終焉之地」碑が建立されます。この中に芥川龍之介がおり、『歯車』で建碑式について描いています。碑は5回の移転を経て現在の駒込邸跡地に設置されました。農学部正門の横が駒込邸内でなかったことも今回の移転の理由の一つでした。広場に敷かれている石材は茨城県の花崗岩(稲田石)で都電の敷石に使用されており、茨城県ゆかりのこの石材も利用して碑の周辺整備が予定されています。整備の後は、この地の歴史を知ることができる人々の憩いの場となることを期待します。(原 祐一/埋蔵文化財調査室)
写真(いずれも著者撮影)