東京大学構内の発掘調査を担当する東京大学埋蔵文化財調査室の原 祐一さんの発行する「向ヶ岡弥生町News Lettr」。発行者の許可を得てご紹介いたします。
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題名の「向ヶ岡弥生町」は明治5年(1872)年に水戸藩駒込邸(中屋敷)の範囲に名付けられた町名です。この場所は明治2年に新政府に収用され、同5年町屋ができました。現在「向ヶ岡弥生町」の名はありませんが、町会名やお神輿の提灯等にその文字を見ることができます。
また、「弥生」の文字は東大浅野地区(工学部等)、東大弥生地区(農学部、地震研究所等)、ほか住宅地に「文京区弥生」として、「向ヶ岡」の文字は隣接した「文京区向丘」として残っています。